しゃべり多め、中身少なめ

雑記的な、備忘的な駄文を投下します。

2019新年会①

学生時代、ゲーセンで3年間バイトしていた。

オープニングスタッフで入ったので当時のメンバーと新年会がてら西新井大師を参詣。

その後は西新井の焼とん屋でだらだら飲みながら語った。

今ではみんな全く関係ない業界でそれぞれ活躍しており、いい情報交換ができた。


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街から光と音が消えた日~北海道地震、大停電~#4

(更新滞り鮮度が下がってきましたが、書きます…)

▼帰る方法を考える夜
早めの夕食を終え、僕はスマホ交通機関の復旧状況を何度も確認していた。
9/8(土)に新千歳空港発の飛行機を予約していたからだ。
新千歳以外の空港は地震後も機能しており、特に脅威の就航率を誇る旭川空港に至っては
わざわざ札幌から来て乗る人もいるとのこと。
さらにはこの災害を受けて増発便も出るらしいが、予約サイトを見ると既にほぼ満席状態。
もちろん旭川から帰れれば一番いいのだが、
・元々新千歳からの便を既に予約している
・上記をキャンセルしても、旭川空港からの便が取れるとは限らない
・取れたとしても出費がえらいことになる
以下のような感じなのでなるべく当初の便で帰りたかった。
ただ、いまだに北海道各地で多数の家が停電や断水に喘いでいる状況下で、
そもそも札幌まで行けるかどうかも怪しい。
こりゃしばらく実家に厄介になることも考えておいた方がいいかもな・・・
暗くなると人間自然と眠くなるようで、21時過ぎには家族みんな床に就いていた。

▼復電の朝
翌日7:00頃に目覚めた。ずいぶんしっかり寝込んだものだ。
ブレーカーを上げてみる。が、まだ電気は戻っていない。
(東日本震災の教訓から、停電時にはブレーカーを下げておくとよいと友人からアドバイスをもらっていた)
もう24時間以上停電していることになる。
こりゃ今日もダメか・・・?
居間に行くと父親が朝刊を読んでいた。
ということはちゃんと記事を書いた人がいて、印刷する人がいて、配達した人がいるということだ。
当たり前のことなのだが、いやはや恐れ入った。
改めて各地の惨状を知り、胸が痛む。
一方で早く帰京したい自分の焦りも募る。
せわしなくTwitterをチェックする。
検索ワードはもうすっかりおなじみの「旭川 停電」だ。
そうするとつい先ほど実家付近で復電したとの誰かのツイートが目に入った。
あわててブレーカーを上げてみる。
すると27時間ぶりに我が家の各所に電気が流れ、TVや冷蔵庫などが息を吹き返した。
「電気きたよ!!」
家族に知らせる。と共に、Twitterでもウチのエリアが復電したことをツイートする。
すぐに見知らぬ誰かの「いいね」がついた。

▼帰れるかも!!
TVでは当然のことながら震災のニュースばかり報道されている。
新千歳空港はどうやら午後の便から運航する見通しらしい。
すごいリカバリーだ。
となると、明日の便も飛ぶかもしれない。
だったら、行くしかないしょ!!
とにもかくにも札幌までの足を確保する必要がある。
しかし鉄道はまだ運休中、バスも信号が点灯しない限り安全性を担保できないので運行できないとのことだった。

街から光と音が消えた日~北海道地震、大停電~#3

▼停電の朝
静かな夜明けだった。
近所を見回しても外見だけでは特に変わった様子は見受けられない。
信号が光を失っている点を除いては。
実家はオール家電ではないし、ガスも水も使える。
まあTVは使えないが、日中の生活には特に不便は感じられなかった。
何事もなかったかのように朝食を済ませ、元々予定していた墓参りに出かけることに。

▼信号が点灯しない道路は怖い
我が家の墓参りはいつも近文と春光台の比較的近い2カ所を回る。
僕は恥ずかしながらペーパードライバーのため、父親の運転で墓地へと向かう。
近所の道路はそれほど交通量が多く無かったが、幹線道路になるとみんかかなりの
スピードで飛ばしている。
その隙間を縫うようにして走るのはかなり怖い。
それでもなんとか墓参を済ませ、なんとか帰宅した。
ご先祖様もまさか北海道がこんなことになるとは思ってないだろう。

▼近所を歩いてみる
ひたすらラジオだけを聴いているのも疲れてしまうので、妻と近所を歩てみることにした。
道路1本向こうの町内にあるドラッグストアは普通に営業していた。
早々に復電したのだろうか。
逆にうちの町内に関しては、銀行・スーパー・コンビニすべて停電しており、
スーパーは店頭で缶詰や電池などを手計算で販売していた。
銀行は当然一切の取引ができないため、本日休業の貼り紙がしてあった。
交通量の少ない脇道を歩いてみて、僕はあることに気づいた。
街から音が消えてしまっているのだ。
決してにぎわっている町内ではないが、いつもならパチンコ屋やスーパーなどから
何かしら音が聞こえるし、今日みたいに少し暑い日なら、窓を開けている家からTVの音が漏れてきたりするのだが…
なんだか寂しいような怖いような気持ちになり、僕らは家に戻った。

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▼親父殿は強かった
まだ日が落ちるまでは少し時間があったが、北海道は内地より日の入りが早い。
ネットで調べても情報が錯綜していて復電がいつになるかわかったものではなかった。
ところが父親はなんだか楽しそうだ。
アウトドア好きな父親は、キャンプ道具を引っ張り出してきて備品をチェックしている。
さらに庭の畑で栽培していたカボチャを食料の備えとして掘り出してきた。
そして近所のコンビニを偵察してくると言い、戻ってきたその手にはワインが2本入った袋をぶら下げていた。
恐らくコンビニでみんなが買い求めるのは電池や食料・水分の類のはずだが、堂々とアルコールだけを会計する父親の姿を思い浮かべるとなんだか笑えてきた。
「こういうときは慌てても仕方ないべ」
そうだった。この親父殿は滅多なことでは動じないのだ。
「そうだね。飲も飲も」
結局我が家では陽の高いうちからいつもの宴が始まったのだった。

街から光と音が消えた日~北海道地震、大停電~#2

旭川
9月5日、当初は午前中に札幌駅に到着している予定だったが、タクシー・地下鉄と乗り継いで札幌駅に着いたのは13時を回ったところだった。
思えば朝5時に起床し、日暮里から乗ったライナーの中でパンを食べて以来何も口にしていなかったので空腹だ。
札駅地下街アピアにある旭川ラーメン「よし乃」に立ち寄り、みそラーメン(超ウマい)を胃袋に放り込む。
これを食べることで僕の帰省は始まると言ってもいい。
ひと心地ついたところで14:00。旭川に行くにはバスしかない。
バス券のカウンターで聞いてみると、JR運休の影響で混雑するかもしれないとのこと。
急いで地上のバス乗り場に駆け上がると、そんな心配をよそに14:20発の高速あさひかわ号は特に満席ということもなく出発した。
あぁ、時間があればバスセンター前の「第三モッキリセンター」で一杯ひっかけてから行きたかったなぁ。
その後ほぼ定刻どおりの運行でバスは旭川駅に到着した。

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久しぶりの旭川

 

▼1年ぶりの実家、平和な夜
A.s.hの地下にある「パティスリー・サロンドール」で、数日前に誕生日を迎えた母にケーキを買い、その後父親の迎えで実家へ。
ここまで来るのが大変だった話を肴に、いつものように父親と盃を交わす。
明日はうまい酒を買ってきてやるからと、齢75を超えても相変わらずよく飲む親父殿。
これからあと何回、この元気な顔を見ることができるだろうかと、帰るたび感傷に浸ってしまう。
明晩の酒を楽しみに床に就いた。今日は早起きと移動で疲れたし、よく眠れるといいのだが。

▼深夜3時8分、地震発生
僕は比較的眠りが浅い。以前は睡眠薬を服用していた時期もあった。
なのでちょっとした物音でもすぐ目を覚ましてしまう。
一方、妻は眠りがめちゃくちゃ深い。多少のことでは滅多に目を覚まさない。
そんな彼女も目を覚ますほどに、AM3:08、地面が揺れた。
しっかりと体全体で揺れを感じる。
かつての3.11では東京で震度5近い揺れを経験したし、その後も何度も地震は味わっているので、なんとなく「ヤバそうな揺れ」は実感値としてわかる。たぶんそういう人は多いだろう。
今回の揺れはまさにそれだった。
感覚的に震度3~4といったところか。ただ、かなり長く揺れたな。
僕と同じく敏感な父親が懐中電灯を持って僕らの寝ている部屋にやってきて告げた。
「停電したわ」
本当に?僕はもしかしたら揺れでブレーカーが落ちただけではないかと疑い、確認してみたがどうやら本当に停電したようだ。
時間帯からして周囲が真っ暗なのはいつものことだが、ただの地震ではなさそうだ。

▼とりあえず迎えた朝
父親は日がな一日中ラジオを聴いている人なので、さっそくラジオで情報を集めている。
僕もスマホでネットニュースやTwitterをチェックしてみたが、恐らく詳しいことがわかるのは夜が明けて世間が動き出してからだろうと思い、うつらうつらしながら寝たり覚めたりを繰り返した。
そして陽が昇った頃、厚真での大地震、そして北海道全土が停電したことを知る。

街から光と音が消えた日~北海道地震、大停電~#1

▼久しぶりの北海道へ
2018年9月5日(水)、数日に渡り日本列島を襲った台風21号はハイスピードで北海道を抜け、この日から帰省予定だった僕の搭乗するJetstarは定刻通り順調なフライトだった。
4日間の北海道滞在、短いけどめいっぱい楽しもう…!!
そんな期待は着陸早々、出鼻をくじかれることになる。

▼台風の影響でいきなり足止め

新千歳空港到着後、のん気によつ葉のソフトクリームを食べ(超ウマい)、さてそろそろ札幌まで出るべかな~と空港地下のJR乗り場へ行くとどうも様子が変だ。
駅員さんから、台風の影響で鉄道が午後まで運休していることを知らされる。
なんと、そんなにひどいのか…!
まぁバスもあるし、仕方ないかと今度は1階のバスチケット売り場へ。

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え゛え゛っ、これバス待ちの行列…?
100人200人どころではない、新千歳空港の特徴的な弧を描く形のフロアの、ほぼ端から端まで、バス待ち、そしてレンタカー待ちの長蛇の列だった。
とりあえず並んではみたものの、販売機ではなくカウンター対応のみため遅々として進まず。
しかたない、ちと懐は痛いがタクシーにするか。。。

▼傷痕は予想以上

10分ほど行列に並んですぐに嫌気がさした僕は、空港の外に出てタクシー乗り場の列に陣取った。
なんせ広い北海道、移動距離を考えるとバスや鉄道でなるべく交通費は抑えたくなるもの。恐らくみんなそう考えていたのだろうか、並んで程なくしてタクシーに乗ることができた。
札幌までの道中、僕は車窓から見える景色に息を飲んだ。
多くの樹々たちが前日の台風で折れたり、根っこからなぎ倒されたりしている。
中には人力では枝葉を揺さぶることさえ難しいような太い幹の樹まで痛々しい姿でへし折れていた。風の力ってこんなに凄まじいのか。
ちなみに国道36号を走って福住で地下鉄に乗るルートで移動し、割引込みで約8,500円だった(北海道のタクシーは5,000円を超えると3割引になる)。
タクシーで長距離を移動したことがなかったので、この基準は今後の移動の参考になりそうだ。バスや鉄道の数倍のコストにはなったものの、空の便をLCCで浮かしておいたのでまぁやむなしとしよう。
移動中にタクシー運転手さんが言っていた「いやぁ内地の災害は怖いよねぇ。北海道が一番安全ですよ」というセリフが後々のフラグになるとはこの時は知る由もなかった。

2018年1Q進捗(休肝日)

昨日で今年の四分の一が終わった。早いものだ。

2018年の新たな取り組みとして年間休肝日を180日以上取るというのがある。

1Qを終えての進捗は以下の通り。

1月:17日

2月:13日

3月:21日

合計:51日

まずまずのペースだと思う。

単純計算で4倍すると年間200日を超えることになるが、年末に差し掛かるとどんどん飲む日が増えるはずなので1年の前半期に休刊日を稼ぐのがコツらしい。

飲む回数を意図的に減らすことで、それに伴ってか体重も少し落ちてきた。

標準体重の72kgまで、あと2kgを切っている。

これも次のQ中には達成したいところだ。